どうも、さかもつです!
旧東海道の旅も一区切りなんて前回の記事で宣言しちゃいましたけど三島宿までは流れで行ってしまいたいなと思いまして。
それには理由がありまして、自分の活動エリア的な問題です。
基本的に23区の方に居て、出かける予定がある週末は都下の実家へ帰省して色々出かけるような動きをしています。
ですので余裕をもって行き来出来る範囲としては箱根までかなぁと。
この先旅を続けていくと当然静岡県や愛知県へ突入しますが、到底気軽に行ける距離ではないので。
そんな訳で三島宿まで到達しておいて、その後は金曜日に前入りするとか1泊するとか色々考えて進めていこうと考えています。
旧東海道の旅 8日目 箱根宿~三島宿
今回のスタート地点は箱根の関所ではなく、少し手前のお玉が池になります。
前回訪問予定でしたが時間の都合上断念した場所です。
そこから箱根宿内を巡りながら関所を越えて三島宿を目指します。
距離としては18.9kmとそこまでの距離ではありませんがここからは長い下り坂になりますので途中で膝をやられないように注意しながら進みたいと思います!
前回のおさらい
前回は小田原宿から箱根宿までの道のりを進みましたが箱根の山越え何とか果たすことができました。
実際歩いてみると道は整備されているので普段からある程度歩く習慣がある人であればそこまで苦労することなく踏破することが出来ると思いました。
ただ当時の道は土道や石畳なので天候によっては悪路に早変わりしていたようです。
雨によってぬかるんだ道やそれこそ雪も降りますからそんな状況で先を進むのは厳しかったことでしょう。
山越えの道中には小田原北条氏が葬られている早雲寺や小田原征伐の際に豊臣秀吉が腰を掛けたという逸話が残る白岩神社がありました。
前回記事では殆ど紹介しておりませんが、こちらの裏街道沿いにも旅館が多く営業していました。
現在の国道1号よりもこちらの旧街道の方が秘境感があります。
石畳の道を歩く事も出来て現存する一里塚見る事ができますし、山頂付近には親鸞ゆかりの地や古くから存在する甘酒茶屋もあります。
権現坂を下るとついて箱根宿内が見えてきます。
今までの街道沿いというと松並木が思い浮かびますが、ここ箱根宿内は杉並木が続きます。
新道とは一本隔てておりますので割と静寂の中歩くことが出来ますよ!
箱根宿~三島宿までの主な史跡・遺構
箱根宿内
・お玉が池
・賽の河原
・箱根関所
・箱根駒形神社
箱根宿~三島宿
・芦川石仏群
・向坂・赤石坂・釜石坂・風越坂・狭石坂
・箱根峠
・峠の地蔵(旧道通行止めの為1号線迂回)
・接待茶屋一里塚
・施工平
・念仏石
・大枯木坂
・願合寺地区の石畳
・一本杉の石畳
・八坂神社・山中城址
・芝切地蔵
・菊池千本槍の碑
・芭蕉の句碑
・三島スカイウォーク
・笹原一里塚
・こわめし坂
・松雲寺
・題目坂
・法善寺
・六地蔵
・箱根路の碑
・錦田一里塚(現存2対)
・初音ヶ原の松並木
・愛宕坂
・新町橋(江戸見附付近)
・三島大社
お玉が池~箱根駒形神社
小田原駅からバスに乗って箱根まで辿り着いたころには9:30になっていました。
おそらく十分三島宿までは到着できるだろうと踏んでいるので初っ端から寄り道をして前回回る予定だったお玉が池を目指します。
ほどなくしてお玉が池に到着しました。
この池は元の名は「那津奈可池」(なずながいけ)と言うようです。
ではなぜお玉が池と呼ばれるようになったかと言うと、池の名前にもついているお玉さん・・・お玉ちゃん?が由来になります。
元々伊豆の出身であるお玉さんは江戸に居た従兄弟の下へ奉公へ出ていました。
しかしそこでの生活に耐えられなくなってしまったお玉さんは江戸を抜け出して着の身着のまま箱根まで来てしまった訳です。
当時は重厚な関所があり、出女入鉄砲なんて言葉があるように女性の往来は厳しく検められた。※江戸に居る諸藩の大名の妻などが逃げ帰る可能性を嫌った為。
女性であっても女手形や伊勢参りの為に発行される書替手形があれば関所は通過できる。
さらに江戸に奉公に来ていたお玉さんが正規の方法で帰郷する場合は奉公先の主に手形を用意してもらう事で関所を通過する事が出来たが、お玉さんのケースは夜逃げに違い事なので手形が無かったのだろう。
正規の方法で関所を超える事を諦めたお玉さんは街道から外れた道を進んだが途中にあった柵に絡まっていたところを役人に捕らえられ、2か月後に打ち首獄門に処せられた。
余りにも不憫に思った近隣の村人がこの池で首を洗ったとか、この池のほとりに獄門に晒されたなど諸説ある様だ。
情状酌量とか全くなくきっちり処刑されている所が恐ろしいところですよね。
ただ関所やぶりは磔獄門が通例だが、打ち首獄門は一つランクが下がった処刑方法でそこに情状酌量があったのではなかと言われている説も・・・・まぁどちらにしろ結果は死なんですがね。
出だしから暗い気分になってしまいましたが芦ノ湖の方へ戻ります。
芦ノ湖沿いに賽の河原があります。
箱根の地は地蔵信仰の聖地としても知られており、芦ノ湖には多数の石像や石塔が並んでいたと言われています。
明治時代に入ると廃仏毀釈の流れでこちらの石像や石塔も多くが破壊されてしまったとか・・・・加えて箱根の地の観光地化によって現在の場所へ集められる形で今に伝わっているという事の様です。
中には鎌倉時代の石仏もあり石像マニアにはたまらない場所ではなかろうか。
右手に芦ノ湖を望みながら関所を目指します。
直前まで天気は晴れる予報でしたが曇りがちですね。
さて関所まで到着しましたがここはあまり時間を掛けずに通り過ぎます。
入口でお金を払う必要がありそうな雰囲気ですが、通り抜けるだけであれば無料で歩けます。
関所内にある展示物や資料館的な物を見物する際は料金を払う必要があるようです。
颯爽と関所を通り抜けた後ろを振り返る。
当時の人たちもおそらくこの辺りで一度関所を振り返ったんではないかと思うんですよ。
色々な思いを巡らせていたんじゃないかと。
箱根駅伝ミュージアムです。
出来たころに一度家族と見学に来ました。
自分の母校も最近は割と常連となり始めていますので毎年正月は楽しみです。
↑往路のゴール地点です。
箱根駒形神社に到着しました。
ここから少し進むと旧街道の色が濃くなりますので旅の無事を祈願するために立ち寄りました。
綺麗に整備されていて、宮司さんと奥様が掃除をされていたところ自分に気づかれ元気なご挨拶を頂きました。
自然と出る挨拶はやはり気持ちが良いですね。
こちらの境内にも古い石塔が沢山ありました。
箱根駅伝ミュージアムからも近いですから少し足を伸ばしてお参りに行かれるのも一興ですよ!
芦川の石仏群~八坂神社・山中城址
苔むしたお地蔵さまが並んでいますがこのあたりは、芦川の石仏群と呼ばれる石像や石塔が多く残っています。
ここからいくつかの坂道を上ることになりますがその途中にも多くの石像がありました。
まずは向坂を進みますが結構勾配がきつかったです。
地面が石畳なので足場が悪いので気を付けて歩みを進めます。
国道1号の下を潜って先に進みます。
お次は赤石坂です。
釜石坂の説明書きには箱根宿内にもあった杉並木が若干ですがこの道中にも現存している事が書かれています。
雑木林に埋もれていますが確かに街道に沿うように杉が植わっているように見えます。
風越坂です。
説明書きには坂道には石畳が敷かれたが他はそうでは無かったと書かれています。
雨や雪が積もったら道はぬかるんだことでしょうね。
挟石坂に到着しました。
この坂は箱根峠までの坂道を指すのでここから当分挟石坂という事ですね。
途中の写真が撮れていなかったのですが箱根峠まで到着しちゃいました。
ここまでの道のりはかなり厳しいです。
何が厳しいって歩道がないんですよ。
路側帯しかないのでマジで車に気を付けてくださいね。
さて神奈川県に別れを告げてここからは静岡県になります。
空はどんよりしてきて時折みぞれが降りますし風は冷たいしで心が折れそうですがどんどん進むことにします。
箱根エコパーキングという簡易パーキングエリアがあります。
ここでトイレを済ますことをお勧めします。
さてここで残念なお知らせで旧街道は2~3年ほど前の台風で崩落している様で歩く事が出来ません。
なので接待茶屋のあたりまでは国道1号線の歩道を進みます。
この辺りは信号も無ければ横断歩道もなく、加えて急カーブゾーンという事で接待茶屋跡に行くには随分先か手前の横断歩道からいかないと危険です。
なので遠巻きに写真を撮影して先に進みます。
26番目の一里塚、山中新田・接待茶屋の一里塚です。
25番目の一里塚は無いようです。
さてここからまた旧街道の色が強くなります。
むしろここを歩きたくて堪らなかった訳ですが(笑)
入口直ぐの所にかぶと石があります。
こちらは兜の様な形をしているからと言う説と、小田原征伐の際に豊臣秀吉がこの岩に兜をかけたからとの説があるようです。
どちらの説もありそうですね。
少し道を進むと分岐があります。
そちらを登っていくと施行平と言う少し開けた場所に出ます。
ここは天気が良ければ富士山や駿河湾が一望出来てとても見晴らしが良い場所らしいですが自分が辿り着いた時は少し日が差している程度でした。
晴れていれば素晴らしい眺望が楽しめただろうなぁと悔しがりながら後ろを振り変えると明治天皇も行幸の際に訪れた場所であると記されていました。
今度は晴れたときに訪れたい!
さて何か吸い込まれるような感覚に陥りますが林道を進みます。
途中明治天皇が休憩された場所という碑がこちらにもありました。
竹藪と杉林に囲まれた道をひたすら下って行きます。
よく考えれば箱根まではずっと登りっぱなしでしたから三島までは下りっぱなしなわけですよ。(当たり前だろ)
途中念仏石なる岩があります。
こちらも旅の途中に行き倒れた人を供養したというような説明書きがありました。
今ではほぼあり得ない事でしょうが死を伴う旅だった訳ですね。
しかしですね、現代でも山登りに行って遭難してしまう人やお亡くなりになる人が多く存在します。
登山道を歩いていたつもりが知らぬ間に道をそれてしまったり滑落してしまったりと遭難や死因の原因は様々ですが、それを考えると当時の東海道の旅路も人里離れた場所は危険が伴っただろうと推測できますよね。
途中の案内板を見たところ先は結構長いですね。
1/5も来てないんじゃないかと若干焦ります。
写真を撮ったり少し調べ事をしたりとその場にとどまる時間もあるのでなかなか予定通りに行かないんですよね。
ここまで歩いてきて三島方面から1人だけとすれ違っただけで箱根側からは誰も来ず。
土曜日ですが気楽な一人旅です。
明らかに人の家の庭ですよね・・・・(笑)
直ぐに抜けます。
一度国道1号線を渡ることになります。
三島市へ突入です!
さてここからはまた石畳の道が続きますがこちらの地区では平成の頃に発掘調査によって石橋があったことが発見されたようです。
イメージ図のように小川が流れている上に橋を渡していたようです。
その先の石畳は現代の工法で補修や改修を行った場所もあるようですが当時の石畳も今にその姿を残しています。
土木技術が高かったことが伺えますね。
八坂神社・山中城址に到着しました。
こちらの八坂神社には大きな樫の木があったようです。
樹齢にして500〜600年程と推定されていたらしいのですが、平成30年の台風で根元近くから倒れてしまい現在は無くなってしまっています。
山中城址は広い公園になっていて城郭等がくっきりと分かるような遺跡として残っています。
堀や櫓台跡も分かりやすく、下手に有名なお城を見物するより想像力がくすぐられて良いんじゃないかと思いました。
こちらも晴れていたら眺望がよさそうです。
芝切地蔵尊です。
その昔、山中新田の旅籠に巡礼姿の旅人が止まった折、急な腹痛でこの世を去った。
その死に際に自分を地蔵尊として祀って常陸(現在の茨城県)が見えるように芝塚を積んでくれと頼んだそうだ。
そうしてくれた暁には部落の村人たちの健康を守ってあげますと。
村人たちは律儀にその申し出を守り旅人を地蔵尊としてお祭りしたという逸話。
その際に供養で出された小麦まんじゅうが美味しくて有名になり方々より聞きつけた参拝客に振る舞う事で部落の1年の生活費を賄ったという。
すごい話ですよねこれ。
結果的に部落に潤いをもたらすことにはなりましたがトンデモ話です。
本来山中城址への入り口はこちら側のようでした。
自分は裏手から入ってしまったようです。
ちょっとしたパーキングのようになっています。
トイレ休憩や食事をとれるようです。
箱根峠の休憩所から丁度良い距離感で休憩が出来ますので立ち寄ってみてください。
パーキング脇に旧東海道の石畳が続いています。
おそらく三島へ向かわれているんだろう人たちも少ないですが見かけるようになりました。
ドラゴンキャッスルなる場所がありました。
2022年8月に出来たばかりだったようでしたが結構人がいましたよ。
今はどうなんですかね?(この旅を行ったのは2022年11月)
山中城口の交差点から富士山が見えました。
気づけば天候も徐々に回復してきているようで景色も良くなってきました。
旧東海道の入り口横に菊池千本槍の碑があります。
室町時代に南北朝にて対立していた際の古戦場にまつわるものです。
石畳の道を進んでいきますがもうしばらくすると今度は三島スカイウォークに到着します。
なんだかんだ三島スカイウォークは一度も訪れた記憶がないので今回少し寄ってみようかと思っていたんですが、思ったより時間がなく・・・・。
まあ、こんなんばっかりです(笑)
富士山と三島スカイウォークを写真に収め、先を進みます。
全く人のいない旧街道と盛況を極める三島スカイウォークが良い対比になっています。
さて、農道のような道を進んでいくと27番目の一里塚である笹原一里塚に到着です。
最初はどこにあるのか分からずでしたが少し外れた道の上にありました。
これは石畳の方ではなく右側の農道のほうが旧東海道なのではないかと・・・・石畳が敷かれてあるから左側だと思いますよね・・・・。
住宅地を抜けていきますが道路の幅が一定で旧街道の名残を感じます。
写真ではあまりわかりませんが勾配が結構きついです。
まだまだ下りは終わりません。
ちなみにこの坂はこわめし坂と言います。
強飯(こわめし)とは米を蒸した物を言い、我々が普段食べているものは水を加えて炊飯するものなので少しイメージと違うかもしれません。(弱飯=ひめ 姫飯=ひめしとも)
あまりにも坂道が険しいため背中に担いだ米と汗による熱気で強飯になってしまったなんて逸話からこの坂の名がついたとか。
日蓮宗の寺院、松雲寺になります。
こちらには明治天皇が行幸の際に休憩したとされる腰かけ石が残っています。
さらにこちらの寺院の裏手には農地が広がっており、さらに富士山が綺麗に見える絶景スポットでもあります。
写真で見るのと直接目で見るのとでは富士山の迫力が違いますね。
少し歩いたところからも1枚撮ってみましたが、今見ても写真では迫力がちょっと伝わらないですね。
とても素晴らしい景色なのでこのルートはぜひ歩いてもらいたい。
さて常に注意しておかないと通り過ぎてしまいそうになりますがこちらの道を右側に入っていきます。
題目坂と呼ばれる坂になり、現在は石畳ではなく階段になっています。
題目石と呼ばれる石があったことからそう呼ばれるようになったとのこと。
現在は少し三島方面に進んだ法善寺に移されているとか。
六地蔵とよばれるお地蔵さまが道中を見守ってくれています。
数が合わないじゃないかとかそういうのは置いておきましょう。
六地蔵とは人間が死後に行かなければならないと言われる6つの世界から来ています。
天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道の6つです。
我々は今人間道を生きているんですね。
六地蔵は6つの世界で迷い苦しむ者たちを救ってくれる存在なわけです。
お地蔵さんなんて親しみを込めていますが本来は地蔵菩薩と言います。
悟りを求める者とか苦しみや迷いから生命あるすべての物を助ける仏様です。
偉いとか偉くないといった話ではありませんが尊いものであることは間違いないです。
見かけた際は感謝を込めて手を合わせています。
ここは分かりやすいですがまた注意ポイントです。
分岐を右に進んでいきます。
道路から離れて林道を進みますとまた本道とぶつかりますがこちらも1号線ではないわき道を進むことになります。
途中古めかしい石仏がいくつか並んだ場所がありました。
元々は寺院があったようですが明治時代の廃仏毀釈で取り壊されてしまったようです。
ただ地元の人々によりその信仰は保たれて今に至るようです。
箱根路の碑がありました。
そうなると箱根へ向かう三島側の入り口ととらえてよさそうですね。
という事は、箱根からの下りを終えたことを意味しているわけですね。
長かった(笑)
ここからは国道1号線を歩くことになります。
自分の中では1番楽しみにしていた一里塚がもう少しで見られるぞという気持ちで高揚していました。
松並木も見えてきて久々に街道らしい風景が戻ってきました。
そうこうしていると現れました。
28番目の一里塚、錦田の一里塚です。
こちらは国指定史跡になっています。
理由としては当時の状態をほぼそのまま残している状態だからと言えます。
現在では多くの一里塚が片側のみ現存であったり復元であったりと不完全な状態であることが多いですが、こちらはしっかりと残っています。
風貌もかなり大きく立派な一里塚です。
これから箱根を目指す旅人が箱根路を前に一休みした場所とも考えられますし、箱根路から三島までの最後の休憩地として一息ついた場面が想像できますね。
初音ヶ原の松並木を眺めつつ先を進むと五本松の信号が出てきます。
こちらも注意ポイントで三島方面を見て右手に逸れます。
愛宕坂と呼ばれる坂道になります。
もともと愛宕社などがあったようですが現在は石塔がある程度でその姿はありません。
かなり勾配がきついです。
東海道本線の踏切がありますがそちらの脇に案内板があります。
今日歩いてきた史跡や名所の説明が書かれています。
そしてこの踏切の名は旧東海道踏切。
先を進むと新町橋という橋がありました。
こちらが三島宿の江戸方見附があった場所という事になりますのでついに三島宿へ到着しました!!!
浮世絵にも描かれている場所のようです。
ちょっと画角が違うかもしれませんが写真を1枚。
本日の最終地点である三島大社を目指して1本道をひたすら歩きます。
ついに三島大社へ到着いたしました。
夕方ではありましたが多くの人でにぎわっていました。
正面から撮りたかったのですが記念撮影している人たちが入り込んでしまうので裏からパシャリ(笑)
本殿にお参りを済ませてお土産コーナーで福太郎を購入して帰りました。
三島駅へ向かう道中に水路があるのですがこちらの水もきれいで、澄み渡っているんですよね。
カモが気持ちよさそうに泳いでおりました。
このあたりは富士山からの湧水が滾々と湧き出ている場所になりますのでとにかく水が綺麗です。
柿田川湧水なんかが有名ですよね。
次回は三島宿スタートなのでこの辺りを散策してから先を目指すことにしたいと思います。
総括
箱根路は確かに険しかったですが今は整備された道を進むことが出来ますので歴史を感じながらのハイキング感覚で楽しめると思います。
自分の場合は箱根側からの下り坂でしたので、逆になるとおそらくまた雰囲気が変わってくると思います。
小田原宿から三島までの箱根八里を踏破して思う事は、やはり当時の人々は命がけで旅をしていたのだなぁと思いました。
大体街道を歩いていると旅人が力尽きたとか怪我をしたとかの史跡が出てきますが、道が整備されていない以上安全に歩くなんてことは難しかったでしょうし、山道ですから滑って滑落するなんて事もあったと思います。
当時の人々たちからすると難所中の難所だったでしょうが、現在は道もきれいに整備されています。
確かにちょっと疲れますが身の危険はありませんので興味のある人は歩いてみることをお薦めします。
余談
6月に更新していますがこの記事の内容は去年の11月の事となります。
夏場のハイキングは水分補給が大事になります。
途中自動販売機もあるので大事に至ることは無いと思いますがこれからの季節は水分をしっかりと持っていく事をお薦めします。
近々東海道の旅も再開させたいと思っていますが梅雨が明けるまでは難しいかなぁと。
あっ、福太郎美味しですから三島大社に寄った際は是非買ってみて下さい!
それではまた次の記事で!
コメント