【神奈川宿】旧東海道の旅④ 芝生の追分 洪福寺松原商店街 程ヶ谷宿本陣跡・苅部本陣跡【程ヶ谷宿】

どうも、さかもつです!

旧東海道の旅の記事も第4回目となりました。
前回は第3の宿場 神奈川宿まで到着して旅を終えました。

事前にリサーチしてはおりますがやはりその場で得られる感動を優先したいのでリサーチも程ほどにある程度の場所と地名程度をマップにインプットするだけに留めると、前回の旅のように目的地の上にある道へ案内されてしまう等ハプニングにも見舞われます(笑)

旅の趣旨としては宿場町および宿場間の旧街道を徒歩にて踏破する事と、その遺構に触れる事なのでスピード重視であれば大問題ですが最悪1宿場でも進めれば御の字としています。

ただこの日は道行4日目と言う事もあり足腰が少しずつ歩行距離をこなせるようになってきている自負も感じてきました。

とは言え江戸の旅人は1日30km程度歩いていたと比べればまだまだですがね・・・・。

記事内アド

旧東海道の旅4日目 神奈川宿~藤沢宿

さて今回の道行は20.5kmという長旅で

神奈川宿⇒程ヶ谷宿(保土ヶ谷)⇒戸塚宿⇒藤沢宿の3宿場を一気に進むこととなりました。
第3回までの道行で自身の歩行能力も徐々に回復してきて距離を稼げるようになりました。
初回は途中で全身に異変を感じて途中でドロップアウトしたくらいだったのを思い出すとよく歩けるようになったなぁと感心してしまいます。

旧東海道から大きく外れた場所へ寄り道することも今回は無かったので割とスムーズに歩みを進めることが出来ました。

それでは神奈川宿のおさらいから入って話を進めてまいります!

前回のおさらい。

川崎宿から神奈川宿までの約10.4kmの道のりを進みました。
元々は程ヶ谷宿まで進むつもりでしたが時間の関係上断念。

総歩行距離は約29kmでした。※グーグルマップタイムラインより。

神奈川宿の全景はこのような地形となっており、前回の川崎宿同様1か所折れ曲がっていますね。
桝形門の考え方と同じですね。
こちらの説明は前回の川崎宿~神奈川宿編にて解説しておりますので良ければご覧ください。

 

少しアップで取ってみたのですが見にくいですね。
すみません、こういった部分はもう少し修業が必要ですね。
スマホからご覧の方は拡大してみてください。

写真の一番右に江戸方見附があったと言われており現在の場所としては京急神奈川新町駅付近と言われております。
そしてそこから青木橋の方へ歩みを進めて京急神奈川駅(青木橋)のあたりでグイっと道が曲がります。
そこからは神奈川台の関門跡・上台橋付近で神奈川宿の範囲は終わります。

規模感としてみてもやはり大きな宿場町であったことが伺えますね。

神奈川宿~程ヶ谷宿までの主な史跡・遺構。

  • 旧東海道碑
  • 浅間神社
  • 芝生の追分 PICKUP
  • 洪福寺松原商店街 PICKUP
  • 江戸方見附
  • 橘樹神社 PICKUP
  • 旧帷子橋碑 PICKUP
  • 香象院・光見寺
  • 天徳院
  • 古東海道・程ヶ谷宿跡
  • 遍照寺
  • 旧中橋跡
  • 助郷会所跡
  • 問屋場跡
  • 金沢横町道標
  • 程ヶ谷宿本陣跡・苅部本陣跡 PICKUP
  • 脇本陣(藤屋)跡
  • 東海道53次碑
  • 旅籠屋(本金子屋)跡 PICKUP
  • 旧東海道お休み所
  • 茶屋本陣跡
  • 程ヶ谷上方見附跡 PICKUP
  • 程ヶ谷一里塚 PICKUP

芝生の追分

芝生(しぼう)の追分は旧東海道と八王子道が分岐する場所にある。
この程ヶ谷宿周辺から上述の八王子道と金沢鎌倉・大山道の3つの街道が分岐することもありとても賑わいのある宿場であったとされている。

追分とは道が分岐する場所をさし、皆さんがお住いの町でもこういった名称の交差点があるかもしれません。
そういった場所の道の名前を調べると実は歴史ある道だったりします。

洪福寺松原商店街

こちらの商店街は程ヶ谷宿の江戸方見附よりは手前の位置にあって史跡・遺構というわけではありませんが、現代の保土ヶ谷の盛況な賑わいを感じることが出来る商店街と言えます。

自分がこちらに到着した時間は9時前後という事もありお店が少しずつ開き始めていたり仕入れの準備をしていたりとその盛況ぶりを伝える写真は取れていないのですが、ハマのアメ横と言われるくらい多くの人が利用する商店街のようです。

程ヶ谷宿というと宿場が置かれ始めた初期はこの先藤沢宿まで宿場がなかったようです。
ですから江戸の町から旅に出た人々であれば神奈川宿もしくは程ヶ谷宿で宿を取ったと思われます。
しかし少し経つとこの先に戸塚宿が置かれることとなり、東海道中膝栗毛の弥次喜多話にも出てまいりますが、強引な留め女が出てきて振りほどいて戸塚宿まで行くなんてエピソードがあります。

程ヶ谷宿の位置的に神奈川宿迄であれば苦労せずに行けてしまうし、江戸方から進んできた旅人からすれば少しでも先に進むためにやはり戸塚宿を目指したわけです。
お客が取れなけば宿場としては厳しくなる一方、程ヶ谷宿は厳しい状況にあったわけです。

そんな程ヶ谷宿が保土ヶ谷の商店街として今や神奈川県で人気の商店街ランキング1位を取得するまでに復活を遂げている。
実際改めて行ってみたいと思えるようなパワーを感じました。

横浜洪福寺松原商店街 - 洪福寺松原商店街
2023/10/31 松原商店街プレミアム商品券は全冊完売いたしました。たくさんのお客様にお越しいただき、誠

橘樹神社

橘樹(たちばな)神社と言います。
こちらも非常に古くからこの地に根付いた神社のようです。

現在は橘樹神社と名を変えておりますが元は衹園社 牛頭天王社 天王宮と数回名を変えて今の橘樹神社となったようです。
ご祭神は素戔嗚尊(スサノオノミコト)になります。

こちらの神社も日本の歴史に大きな影響を受けていると言われておりますが、もともと牛頭天王という神様を祭っていたと言われているんです。
ただこちらは神仏習合の影響を受けて生まれた神とされております。
その融合された神様こそがスサノオノミコトと言われていて、江戸期が終わり明治に入ると逆に神仏分離となりスサノオノミコトをご祭神としていることになったようです。

橘樹神社というと詳しい人は日本武尊(ヤマトタケル)と日本武尊の后・弟橘媛(オトタチバナヒメ)の逸話を想像するかもしれませんが、こちらの橘樹は元々この辺りが武蔵野国橘樹郡という場所であったことが由来とされています。

狛犬がおりますがこちらは嘉永年間(1848年~)に寄進されたもののようです。

江戸神田の伊丹さんが願主として寄進したんですかねぇ。

旧帷子橋跡

相鉄線天王町駅の高架をくぐりますと旧帷子橋跡が現れます。
この場所は日本橋からは8里(約32km)の場所にあるようです。

安藤広重が描いた程ヶ谷宿の風景として新町橋が描かれていますがそれこそが旧帷子橋というわけです。

現在はこのような形で姿を残しておりますが、天王町駅の広場のようなところに突然現れるので初めて見ると少しびっくりします。
人の往来が結構激しいのでどうしても誰も居ないショットを取れませんでした。
グーグルピクセルだったら消しゴム機能で消せるんかな(笑)

程ヶ谷宿本陣跡・街並み

苅部本陣があったとされる場所です。
この通りはこちらの苅部本陣を筆頭に脇本陣や旅籠が軒を連ねていたようです。
その中でもこちらの苅部本陣は程ヶ谷宿一番の本陣であったとされています。

ただ残念ながら現在はその姿を留めておらずなんとも今一な状況です。
元々小田原北条家の家臣であった苅部家の子孫と言われており程ヶ谷宿では1番の影響力があったとか。
現在は性を軽部に改めている様でちらっと表札を見ると軽部と書いてありました。

脇本陣藤家があったとされる場所にマンションが建っており、そちらの塀に想像復元された旅籠街の街並みが記載されていました。
こうやって見ると本当に多くの旅籠屋があり賑わいのある宿場町であったことが伺えますね。

旅籠屋金子屋さん。
この通りにあっては最も当時の面影を残している建物かもしれません。
とは言ってもこちらは明治に入って立て直されたようです。

宿駅制度が廃止された明治3年の1年前に建て直されたものとされています。
明治時代となって産業革命等が起こり鉄道が走り出すと東海道53次のほとんどの宿場が苦しくなっていったと言われていますが、それでもまだまだ徒歩で移動するなんて事はあった訳ですから旅籠屋として心機一転という意味合いがあったのでしょうかね。

程ヶ谷上方見附・一里塚跡

江戸から数えて8番目の一里塚があったとされる場所。
こればかりは仕方ない事だが時代の流れと共に自動車文化に変わっていったこともあり当時の一里塚は殆ど残っていません。

この一里塚も上方見附跡も復元されたものですが現代に見事蘇りました。

一里塚と上方見附跡が復元されたとて今を生きる日本人に何の意味があるかって言われた大した意味は無いでしょう。
こちらの復元事業は横浜市の財源から行われた事なので、他にも税金の使い道があるのでは?と言う声も当時はあったかもしれません。
私自身はこの場を訪れて感じた事は保土ヶ谷と言う土地の歴史の復活と公共空間としての憩いの場として見事に融合した場所であると思いました。

元々の一里塚は現在の国道1号線上にあり以前の記事にも記載したような気がしますが五間四方(約9m)と巨大な為こじんまりとした物となっていますが、当時をイメージするには十分ですね。

道幅とか配置は全く変わってしまっているけど全体的に当時の配置をイメージしやすい形で現在の東海道が走っているので駅からもそこまで遠くない場所ですから見学に訪れてみてはいかがでしょうか!

程ヶ谷宿に到着してみて。

程ヶ谷宿にはあまり良い印象は無かったのですが実際に歩いてみると感じ方も違ってきますね。
案内図も割と多くて保土ヶ谷区的には結構宿場町を推していきたい感じなのかなと思いました。
途中の洪福寺松原商店街は改めて行ってみたいと思いますし個人的に保土ヶ谷の印象が良くなりましたね(笑)

今回はこの先戸塚宿を経由して藤沢宿迄行きますので2回に分けて記事を更新したいと思います。

今回はこれまで!

 

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